ひこうきぐも
私は馬鹿なので、と言う前置きを最初につけます。
前置きと言うか言い訳か?
飛行機の改良が進んで、改良と言うか、技術が発達して、「ひこうきぐも」ってものが
なくなってしまったら嫌だな。そんなことはきっとないか。
空を飛ぶものには夢があっていい。ヘリコプター以外。あれは見た目がなんだか嫌。
シャボン玉のがずっと魅力的。シャボン玉は飛んでない時は潰れちゃう。
飛んでる時しか存在できない。
音楽の使命はなんだろう。使命なんてないか。
でも、聴いて悲しくなるだけなら不毛だし、意味がなくて、悲しくなる理由だとかその先にあるものに
意味があるよね。
音楽を聴いて感じる喜びや幸福感、幸せにはもちろん意味がある。
どんな意味かは分からないし、人それぞれだし、きっとその時々で変わるでしょう。
今日がどんな日になって、みんなが何を思うのか、何が残るのか。
分からない。
意味のない涙も笑顔もないよ。
つくったものでなければ。心の底から出たものだったら意味があるよ。
(いつもこの表現を使う時思うんだけど、「心の底から」って、英語だと「from the bottom of my heart」
そのまんま。面白いなっていっつも思う。)
でも、悲しいものってきれいだったりして、「悲しいほどに美しい」とかって表現があるくらいで。
君の今日に私は存在しない。恐らく一秒も。
私も早くそうしたい。私の今日を君にオーバーウェルムドされたくない。
ちょっと言葉が見つからない。エルレの「Acropolis」って曲にこの(be)overwhelmedと言う
単語が出てくるんだけど、そのイメージ。
今調べたら、
Before your world is overwhelmed
君の世界が壊される前に
となってた。
「幸せになってね」と言う言葉がありますよね。そう言われたり言ったりしますよね。
昨日思ったんだけど、生きている以上、幸せじゃない瞬間、とき、時間、
時期、なんていっぱいあるよね。
だから、この言葉、使いたくないな、と思った。なんか、それ、違う。それ、なんか、違う。
人が悲しむことがなくて不幸じゃないときがずーっとずーっと続くなんて、あり得ないでしょ。
もちろん悲しむときや辛いときばかりだったら、それはさ、望みはしないよ。
何だろう。うまく言えない。
どうでもいい人に社交辞令で「幸せになってね」と言わなければいけない時はあるでしょうけれど。
私は嫌な奴だ。大体の人をどうでもいいって思って生きてる。
関わりがあってもどうでもいいって思ってる。
むしろ、まったく関わりのない人のことを、何も知らないのに心配したりしてる。
大丈夫、こんな歌詞書いて大丈夫?とかって思ってる。
最近思う。一緒に暮らした、暮らしてる家族、あと音楽と、それを作る人しか、私って、
愛したことがない、愛してない。なんか周りにいる友達とか知人を愛するってことが
よく分からない。一番わかりやすく言えば、恋人って言う存在がいた時、その人たちを愛したことが一回もない。そもそも愛の定義が分からないけどね。好きな人はいるよ。大事な人はいるよ。
性別関係なく。歳も住んでる場所も関係なく。例え海外だろうと。会ったことがなくても。
何年も会ってなくても。
だけど、多分、愛したことはない。でもね、家族と、一言で言えばミュージシャンは
愛している、と思う。だから、何となく自分の中で定義はあるんだろうよね。
自分以外のひとのことなんてわからないし、推し測ることしかできないけどね。
それは、「自分のことだって分からないんだからさ、」って前置きつけるのとは違う感覚。
じゃあどうでも良くない人に何を願い祈るだろう。不幸になれなんて思わない。
生きていてね、それは私は絶対言いたくない。
その人がほんとうに死にたかったらそれを止められないし、
そのままでいてね、いや、その人が変わりたかったら変わったらいい、
私があなたの中で好きな部分を失わないで、いや、それも言えない。
何も願えないや、祈れないや。と思って愕然と、と言うか、何だろう。無力感を感じてしまった。
あ、なんだろう、死ぬときに、「しあわせだったな、良い人生だったな」と思って死ねるような
人生をその人が歩めますように、ってことかな。それなら言えるや。
[Alexandros]がまだ[Champagne]だったとき、Mステに出たよね。
録画したけど観てない。なんでだっけ。
NICO Touches the Wallsも録画したけど観てない。なんでだっけ。
KANA-BOONは録画するのを忘れた。
BUMPがこの前出た時はなぜだか出てきた瞬間涙が出てきて、藤原のそばにずっとぴったしチャマが
くっついてるの見て、どうしようもなくて、演奏してるときずっと泣いていた。
なんでだか分からない。素直に、「観覧してるファンがいてよかった」と思った。
その人たちにありがとう、と思った。
そのファンの中の誰とも話が合わない気がするけど、良かった、と思った。
クリープハイプが出たときはバスで茨城県に向かってて、録画しておいたけど、
帰って来てから観ることもなく、歌詞を間違えたのを本人のMCで知った。茨城県で。
愛してやまない音楽を。音楽は、音は止まない。拍手は鳴り止まない。
偽善者みたい、って言われるかも知れないけど私は一本も申し込まなかった。
andyもシロップも。自分が行こうと思って申し込むことはしなかった。
しない、と思ったからしなかっただけ。
一年で人はこんなに変わってしまう。一年で私はいっぱい変わった。変わってしまった。
好きなものは増えたけど、嫌いなもの、と言うか
どうでもいいものがどんどん増えた。好きだったものもどんどんどうでもよくなった。
疲れてはいない。色々あったけど。それは皆そうでしょ。生きてれば色々あるでしょ。
じゃあ、色々あることが続くことを止めたい、とは今思わなくなった。
文章には人が出る。句読点や漢字の変換、語尾。
写真も絵もそう。その人を映す鏡。
他人の責任は取れない。取りたくない。想像のつかないところにはもう踏み込みたくない。
想像のできないものは作り出したくない。それなら何も始めない。
見ることも、もうしたくない。眺めることもしたくない。
一人で解決できること、すべて自分だけに戻ってくることだけで充分だ、
取り返しがつかないことをしてしまう危険性を孕むものとは無縁でいたい、
悩みたくない、疲れたくない、もやもやしたくない、
自分でしてしまったこと、それが全部自分だけに帰ってきて、それの責任を取るならいいけど。
一人は楽。孤独は自由。それが貫き通せなくて、厄介。とても厄介。