イキル

音楽、映画、など 趣味 私見 雑記

無題

愛情を知ったのかどうか
それは解りませんし、
わたしは知った気は実はしていなくて
例えそれが愛情でも、
色々な形がありますから
自分には理解できない形だったりね、
歪んだ愛情、とか言う時点でそれは愛情なのか?と思うよ←なんかここだけフォントでかくなるんだけど
 でかい、とかって言葉遣いはきれいじゃないからやめたいね

ただ、「振り出しに戻る」そう言う一年だったのかも、と今思う
懐古主義になっていたのではなくて、
ひたすら自分のルーツを思い出し、再び触れて、
新しいものごとに触れる体力と精神力はなかった
色々確かめないと、何が何だか分からない
保身のために何も考えず右に倣っていたとして、保身のためと思ったのは自我だろうか、本能だろうか
そもそも保身のためだったんだろう、と言う考えも後付けに過ぎないし


信じてよいのか、どうなのか
誰を信じたら良いものか

なら真っ先に己を、と言うのは実際問題、事実かもしれないですね
自己評価が低いのではなくて、自己評価が出来ないので、他己評価しか、どうも、すがるものがない

でも信じた瞬間から勝手に自分の望みと理想を押し付けるからうまく行かないんだよね、てのはわかってる、頭では

自分の中で出て来た感情で唯一信じられるのは、好き、と言う感情だけ
好きでなければ、もやもやしたり複雑になったりしないでしょう
あの人は変わった、あれは変わった、となるのは関心があるからで、嫌いな人や、ものには関心を抱きませんから

今見たくないものは見ないで、触りたくないものには触らないで生きているから
そう言うの選べるとこにいるから
こんなことばっか考えてんだろうな、考えていられてんだろうな、とは思う

踏ん切りがついてもね、私は神様には絶対負けたくないから絶対信じない

あほう熱が出てきたみたいだよ
どうすんのさ

踏ん切りがつかない
多分皆意味なんていちいち探してない
皆はそんな余裕ないから

頭のてっぺんからつま先までわかりあうのは絶対ありえない
だけど、一瞬そう言う気がしたりする
そうしたら、それが実は、嘘だった、わかりあえてなどいなかった、とわかる前に死にたいのはよくわかる

だから、そうなれなくていい
適当にほわぁって信じて、それだけ見てる、ずっと

美しいと思えるものが増えるのは悪いことじゃないと思うし、思いたいです