イキル

音楽、映画、など 趣味 私見 雑記

独白(また長文です)

思ったままに書いていたら、少し訳が分からなくなりました。

くだらないことで攻撃されて、くだらないけど、なんか嫌だなあ、とか思って

色々考えていたらこんなものを書いてた

とにかく何でもいい、人を嫌な風に思いたくない、そういう感情を持って生きるのは本当にいや 

好きなひとたちとそれ以外 それ以外と言うのは無関心、何も思わないということ

好きだったけど嫌いになったかも、とか思いたくない

今のわたしはそんな簡単に人間を好きにならない

今好きなひとたちはそんな単純に好いてる訳ではない


カテゴリー、それから肩書き、そう言ったものに惑わされ、自分も勝手に人やものを

カテゴライズしたり、どんな人種かカテゴライズしたりして生きている

もっと最悪なことには、敵か味方か、上か下か、

「利害関係だけ一致してるから他は気にしない」とか人をフォルダ分けしてるようなところがある


そういうフォルダに入ってない人は、「好きだ」とか「意見や考え方が自分と似てる」

「尊敬できる」とか、自分に似た部分を見つけて安心してるだけなのかな

きっと敵にはならないって、だからフォルダ分けしてないのかな

いや、そんなことはないって思いたい、フォルダのタイトルが付けられない

だから大事で好き そのはずだよね、そう、そう。じゃなきゃ嬉しくなったり悲しくなったりしない。

案じたりしない。そう思いたい、じゃなきゃあんまりにもひどくて、ひどく悲しい


自信がないからいつも人を疑ってる

きっといつか嫌われても、悪口言われても仕方ないな、と思っている

でも、遠回しに嫌味を言われたらへこむ

真っ向勝負で戦って、口喧嘩みたいなので言い負かした!と思えたら自信がつくんだろうか

味方ってのは取りも直さず、唯一の共通項が、敵が同じだってだけ

同じものを嫌がって憎んでる、そんな仲間意識・・・仲間じゃないよね、すごく不健全、

でもありがちだと思う 少なくとも私はそう


エキセントリックなブログを書いてるシンガーソングライターがいる

さっき、読んでたの

イライラしてたし、「ほんとにそうだよね、ムカつくよね」とかって、

「彼女はきっと自分と同じ側」と思ってた矢先、

「え、いきなり矛先がこちらに来た、これは私側にいる人間を責めている文だ」と思った、

その瞬間に怖くなって、分からなくなってしまった


もっと自分を確立して、揺るがないものを

人の言動ですぐに壊れるような脆いものじゃなく、強靭な世界、城

でも、誰でも自由に出入りできる、孤独感はない、

しっかりと確立されているが故に自由で、もっと寛容で、許容範囲は無限で、

柔軟性のある世界、城


自分がない、アイデンティティ、自分らしさ、いや、持ってるつもりなんだけど、

大声で言えない 大声できちんと言えるほどしっかりしたものじゃない


あるコミュニティにいるときは、経験や慣れや、居た時間が長いから単純についた知識、

だから、努力によるものじゃない知識等を、見せないように隠している

でもいざとなったら振りかざせるから、ビクビクせずに割と普通にいれる


あまり詳しくないジャンル・・・そのコミュニティに於いて、私がstrangerな場合は、

可もなく不可もないように振舞う。認識してもらえなくてちっとも構わない、

少しでも何か非難される方がずっと恐ろしい。


どこかに所属しようとしたとき、単純な話、生まれ落ちた瞬間から、

何となくどうしても行けないところとかってあって、自分の上にいる人、

自分の下にいる人、同じ位置にいる人がもう決まってて、でも、それは結構簡単に変わる

何をどうしたって行けない上の方の境地に、すぽっていきなり自分が行くことはないけど、

ちょっとした上下の差は、毎秒毎秒変わる

多分、おちるとこまでおちるってのは、ありえる。「落ちる」も「堕ちる」も。

上も、果てしなく上には上がいるけど、下というのも底なし沼。


自分の評価を相対的につけている、―人間としての価値をね

まず今の状態では、私は誰かに評価されることはない、自分を評価するのは自分

だけどなんだろう、、、

ビクビクしてるのも嫌、だけど、人を見下して嫌味を言いながら生きるなんてのも、ちっともしたくない


その人がミュージシャン、または作家、またはライター、または政治家、

一般人でもその界隈では有名人、つまり影響力がある人とか、

あのTwitterの隣の青いマーク、あれが付いてるってだけでさ、盲目的に信じたり、

宗教みたいにしたくないし、だってそうしたら思考回路が止まって、私はなに、どこ、

私は私として機能してない

でもじゃあ盲目的に信じず宗教化してない今現在は自分として機能している?


相対的な価値じゃなくて、絶対的な、だけど別にオンリーワンなんかじゃなくていいわよ、

絶対的に、自分は自分をちゃんと信じて、愛せる自分に、自分の為に、なってあげないと

ナンバーワンじゃなくて、オンリーワンがいい、とか言ってるから、

奇抜であればあるほど芸術性が高い、みたいになってない?ファッションとか。

あの感じは嫌い。

まあいいや。


これはね、一時期問題?になってた偏差値の話とは違う

テストには正解がある、正解率が高ければ、偏差値が物凄く低くなることはないよね

皆が簡単に解ける問題は自分も簡単に解けて、みんながあまり解けないものも間違えなければいい、

きちんと解ければいい、そのためには勉強すればよい 国語だって論文だって全部正解がある


学歴社会で、学歴とか自分の経歴でふるいにかけられるのともまた違う話

誰だって東京大学に行けたらいいよね、高みを目指すなら一番上に行ければいい

京都大学って東大とほぼ同じなのかな まあさ、国立大学 私立なら早慶上智、

取り敢えずある程度のランク、とされてるところ

そこに行かれないのはさ、まあ割り切れるようなところがあるでしょ、

学歴は今回の話とはちょっと違う話

あと、the pillowsの「ストレンジカメレオン」とも違う話ね

保護色を次々と変える自分に違和感を持ってるから、どうしようって話だし

保護色の問題じゃない

今の私には、生き易いように纏う色を変えるのはそんなに困難なことじゃない

変えても傷付かないからね


でも、自信、いや、「自分らしさ」ってどうやって確立したらいいかな

自分らしさ、の欄があったとして、「東大出身」とか書いてる人がいたら吹き出すよね

寧ろそうだったら生き易かったかも


鬱じゃないよ、悲観的でもない 

何が言いたいかって、自分らしさをきちんと持ってたら、いらいらしたり、

いつもあっち、こっち、って批判する対象なんて探さなくて済むんだよ、と思うの

何かと比べて上とか下とかやってるから、疲弊するし、非生産的 

個性なんて比較するものでない、私は誰かに対してマイナスな感情を持って生きているのが本当に嫌


それは、自分ってものを持ってないから、持っててもちゃんと言葉で説明できない

何より、自分が自分をきちんと持ってると思えない 

人の言葉に右往左往しているのが何よりの証拠

空の高いところにある特等席に足を組んで座りたいんじゃない

そんなのは一番したくない、だからって下から物乞いするのも嫌

そういう話じゃなくて、「Nothings gonna change my world」って、それくらい

揺るがない確立したものを、自分らしさを持ちたい

そしてそれは閉鎖的なものでは意味がないの

通じるかなこれ、文が崩壊してるからダメか