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はじまりとおわりとはじまりのおわり(※編集しました)

どうせどこにも行けないのなら

ずっとここにいてもいいんだよ

     ハッピーエンド/andymori

 

ある人はおとついのライブが終わったことを、andymoriのラストライブが終わったことを、

「青春が終わったように感じる」と言う風に書いていた。

この方はキュウソの「ビビった」などのPV監督。

これもひとつの考え方、見方だと思う。ただ、自分はほんとにこの通りだな、と共鳴できなかった。

 
「宇宙の果てはこの目の前に」のときだったかな、青い照明がとてもきれいだった。
何の曲だったかなあ、照明がアリーナの皆の頭の上をゆらめいて、皆きれいな海の底に
いるみたいだった。宇宙の果て~だったように記憶してるのだけど、違うかもしれない。
アリーナ席の黄色いTシャツがいっぱい目に入った。あの黄色は良い色だ。
 
青春とは終わってしまうものなのだろうか。必ず終わってしまうものなのかな。
いつか必ず終わってしまうのかな。
 
最近「若さ」だとか「青春」だとか頭の中でこの言葉を反芻しすぎて本来の言葉の意味が
分からなくなってきてしまった。
 
大人になるってなんだろうなあ。
どういうことかな。
具体的にどんなことだろう。
 
こうやって私は、もやもやと、ぐちゃぐちゃごちゃごちゃと燻っていて、
どうせどこにも行けないのならずっとここにいていいかな。ずっとここにいたいな。
 
きっと私もかつては青春の真っ只中にいたんだろう。それは今鑑みるから分かるのであって、
真っ只中にいるときは分からなかった。
自室から見える青い空と高校生のとき夏休みにELLEGARDENをひたすら聞いていたことを思い出す。
一体いつ眺めた空だったのか分からない。
ELLEGARDENを聞きながら見てた空だったのかな。
 
私の青春は終わったのかも知れない。
いま、「思春期を過ぎて 大人と呼ばれて 愛情を知る頃 振り出しに戻」っているのかも知れない。
andymoriのラストライブを見て「ああこの感情は愛情と呼んでいいのかもな」と今思う。
自分の中にあるこのよく分からない感情の一部を愛情だと思ってあげても良いかな。
愛情なんて、愛なんて、わかり易く言葉にして定義付けられるものじゃないし、
そんなことしなくていいんじゃないかな、と思う。
見返りを求めないのが愛なら、完全に愛とは言い切れないかも知れないが。
たまにさみしくならないと言ったら嘘になるからさ。
 
本人たちがハッピーエンドだと思えたらきっとハッピーエンドなんだろう。
ハッピーエンドだって思った人の中ではハッピーエンドなんだ。
青春が終わった、と思った人の中ではきっと終わったんだろう。
解釈は人の数の分だけあるのだし、すべて正解なんだ。
 
わたしは取り敢えずはここにいたいからここに居ようと思う。
 
きっとこのライブは映像化されるだろう。
今のところ、見なくてもいいかもな。
幸運なことに参加できたから、自分の中ではあのままとっておいてもいいかな、と今は思う。
 
不思議だな、藤原基央が「ライブは日常と地続きだ」と言ってもどうしてもわたしは
バンプのライブはそう思えない。
いつまで経ってもバンプのライブは一大行事だし、特別感が拭えない。
でもおとついのライブは―もうandymoriというバンドのライブを目の前で見ることは
もう二度とないのに―あの日の続きを生きている、と思う。
不思議だな。
 
衝動の塊みたいな曲は大体いつも三分くらいだな。
きっとからだ自身が衝動の塊そのものみたいで、どうしようもなくて、
「このからだ何処へ行くのか」って歌ったんだろうな。
 
なんかやらなきゃって思いながら、わたし、いつもいつも部屋の隅にうずくまっている。
どうしようもないこのからだ何処へ行くのか。
 
「空がこんなに青すぎると」って歌う彼はあんまりに純粋だと思うから、
生きていくのはときにむつかしくないだろうか。心配になる。
でもきっとギター一本あれば、それを抱えてどこに行ってもどこへ行っても
歌っているんだろうな。
 
しんみりするわけでもなく、やたら長いMCがあるわけでもなかった。
感傷に浸る瞬間を敢えて設けるようなことを彼らはしなかった。
わたしは、音を楽しむと書いて「音楽」なのだよ、と評論家がよく使う表現を
ほんとうにその通りだなと噛み締めながら観ていた。
ギターが鳴ったら、ドラムがどこどこ言いだしたら、いつだって体は勝手に動く。
でも涙は出るし、ときには腕を上げることも出来なくて、どうにか立っていようと
いつも思うけど、ほんとは立ってるのもやっとだったり、膝から崩れ落ちそうって
こういうことかなって思いながら立っていたりする。
 
まさに「No reason to stay here But no one has made a move」だった。
ライブハウスじゃなかったのに。
でも、二度とあのステージに彼らが出てくることはない。
またね、また今度ね、もない。
それで良いし、そんな野暮ったいことはね、悲しいけどね、わたしは言わないでほしいと思った。
野暮ったいなんて言ってごめんね。
もちろん、彼らがまたね、っていうことはなかった。
すぐに会場から出ることは出来なかったけど、幾ら拍手しても仕方がないのだった。
終えると決めたら、終わったら終わるのだ。終えるのだ。
 
感傷的なことはなにも言わずに、ありがとう、だけ言って、
「きっと世界の終わりもこんな風」なのかなってちょっと思ったりした。
 
あの日にみんなもわたしもあそこにいてよかったなあ、ほんとうによかったな。
 
可愛くなれない性格で、だけど、可愛くなれないなら、せめて、嫌味を言わずに、、、
だって嫌味なんてほんとは言うつもりない、言いたくない、可愛い性格だったらほんとのことが
ちゃんと言えるのに可愛くないから嫌なことを言ってしまって、あーあ。
だから、嘘はつかずに、思ってもないのに可愛くない故に人を傷付けること
言うのやめよう。そこはちゃんと大人になろう。
 
もし壮平くんが歌い続けるのなら、
ほんとうにうたいたいうた 君にはうたってほしい
 
ありがとうね。
 
そうだ、最近、落ち込んだりへこむと、って言ってもすごく些細で馬鹿馬鹿しいことなんだけどね、
壮平くんが、andymoriが勝手にTake It Easy Take It Easyって同じ声で繰り返してくれるよ。
 
andyの曲の歌詞にも、エルレのMake A Wishにもさ、
何もかも終わる、続くものなんてない、永遠に続くものなんてない、みたいなのがある。
そうかも知れない。人生の先輩がそういうなら本当にそうなのかもしれない。
でもああ本当にそうだなって自分が思うまでは、この感覚、まだ分からなくていいよね。
 
andyの歌詞読んでると、色々考えちゃって、キリがないな。
分からない歌詞もまだまだいっぱいあるし。
 
だってさ、「はじまりのおわりの話」ってどんな話か、まだわたし、分からないままだよ。