Astronaut
先日「宇宙兄弟」を見た。
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2012/12/21
- メディア: Blu-ray
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
自分は、生き続けるのが嫌になってくると、
「どうしていつか地球だってなんだってブラックホールに飲み込まれるのに、こんな辛い思いして人間て生きてるの?」だとか、
訳の分からない大量虐殺、無差別テロで人が殺されると、「いつか皆死ぬのに、なんでそんな自分の主義主張のために他人を殺すんだろう?なんで自爆してまで人を殺す?」とかって、いつも思っている。
どう考えても草不可避、大草原な中二病の成れの果てでしかない思考回路なのは分かっているつもりだ。
それでも、話を宇宙規模にすると「自分の悩みなんてちっぽけなものに思えてくる」とは最近あまり思わない。
どうしていつか全部終わるのに皆こんな必死なんだろう、しかも必死になった結果が必しも幸せとは限らないし、幸せになった時はもう老人で何もできないかもしれないのに。
とにかく、いつか地球は終わる、ブラックホールに飲み込まれるらしい。終わる。人類は死ぬ。全部終わる。
なのになんで生きてる?頑張る?ばかみたいだ。と思う。
笑われるだろうよね。中二って言うかただのバカ。
中二病の人たちはきっと「生きるのが楽しくて仕方ない」と思えるように「俺が、世界を変えてやる!」とか言ってくれるだろう。
しかも、私にとって生きているのが嫌になる原因なんてそれこそ馬鹿みたいな理由だからね。
でも、この映画を見たら、なんだかめちゃめちゃ泣いた。
生きよう!とは思わないし、生きるのは素晴らしいとかって経験はないし、別にそういう風に思ったわけじゃない。
生きるのは良いことでも悪いことでもない。そこはそれぞれでいい。
死んじゃだめだよ!とか言う人に「あーしにてー」って言おうとは思わない。
「死んじゃだめだよ、生きてるのめちゃめちゃ楽しいよ」て人が悪いとも思わないし、そういう人を「こいつ頭からっぽでバカなんじゃないの」って、自分も馬鹿だから思ってた時期もあったし、今でもたまにそう思ったりするけど、事実、その人が頭からっぽでバカな訳ではない。
でも私は死にたいって言う人が悪いとは思わない。「だったら死んで来いよ、死ぬ勇気もない癖に」とは思わない。
自分も死にたいと思うし、死ぬ気はないし、死ぬのも生きるのも勇気とは関係ない。
勇気と言うのは、生きるのが前提で、生きていく中で頑張る場合に必要なものなんじゃないのか。
生きることって、頑張ろうと思って頑張れることだろうか?
勇気、生きる勇気。生きる勇気ってなんだろう。じゃあ、死ぬ勇気って何?
だったら生きるのも死ぬのもどっちも勇気が必要なんじゃないの?
どっちが、より沢山の量を必要とするか、なんて考えても仕方ないし人それぞれなんじゃないの?
私見だけどね。
死にたいって言いたきゃいいし、辛いって言いたきゃ言えばよい。
そりゃあ、聞いてる方は大変だよね。私だってきっと顏合わせるたびに死にたいって言われたら苛々するだろうしね。
感動、とは心を動かされること、という意味であるのだとしたら、「宇宙兄弟」を見て私は感動した。
単純で中身のない映画だ、と言う人も勿論いるでしょうけれど、わたしは、感動した。
昔の自分は思えなかったかもしれないし、来年見たらそう思えないかもしれない。芸術鑑賞とはそういうものだと思う。
「ありえないでしょwww」みたいな以心伝心とか、奇跡みたいなこととか、真実だと思える時は思えるんだよ。それは、別に、「ありえないでしょwww」っていうひとに言う必要も、伝える必要も、分かってもらう必要も信じてもらう必要もない。あり得ない、と言う人も私も間違っていないし、正しくもない。
でも、観終わって、なんとなく「ああ生きようかな」とか思う訳です。
でも五分くらいするとね、簡単にもう、沈んでいくんです。
人間、そんなに簡単に変われないのです。
それでも、この映画を観たことは私にとって良い選択だった、と今は思うのです。
恐らく、わたしは「生きる」というエネルギーの質量の大きさ?みたいなものに圧倒されたのです。
死ぬのにもエネルギーは必要だが、結果として死ぬということは、終わることです。
死んだ人間や生き物に続きはないから。生きることは死ぬまで続く。
映画の中でも、死んでしまった役は、生きた人間として登場することはないでしょう。
それは「Gravity」(邦題:ゼロ・グラヴィティ)を観た時にも思ったことでした。
地球に生還した彼女が、自分の足で地面を踏みしめて歩き出す。
そこで映画は終わる。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
- 発売日: 2014/12/03
- メディア: DVD
- この商品を含むブログ (8件) を見る
なぜかこの二つの映画を見て思ったことは似ていて、この二つに共通するのは「宇宙」なのでした。
死ぬこともすごい。わたしは死ぬことは悪いことじゃないと思う(死にたくない人を勝手に他人が殺すのは「悪」です。)
だけど、今生きてる私は、生きることのエネルギーみたいなものの大きさを感じて、すごい、と思って心を動かされたのです。(兄弟姉妹ものに弱いのも若干ある)
もしそれが子孫を残すために本能的にインプットされているのだとしても、すごいと思う。
死にたいときは子孫繁栄のための人間の生命力とは、何と汚らわしく傲慢なんだろうかとおもう。醜い。醜悪だ。
なぜか部屋にある宇宙飛行士のスマホスタンドに敬礼したい気分になりました。
話は変わりますが、「宇宙飛行士への手紙」と言う歌があります。
「生きようとして生きぬいた稲妻を一緒に見られたから」と言う歌詞があります。
私は、ある人と確かに「生きようとして生き抜いた稲妻を一緒に見られた」様な経験をしたと思っている。
でもたとえばその人はそう思っていなくても、自分は傷付かないし悲しくない。
それに、自分は一緒に見たと思い続けて生きていくだろうと思います。
笑ったりバカにする人もいると思いますけど、そういうもんなんだな、と思います。
大事なことだけど、無理して思い込んでいることでもない。
他人に対してもそういう風に思えたら、もう少し他人が怖くなくなるのかもしれない。
人を大事にして、自分が傷つくのが嫌です。しかもわたしは簡単に「傷付いた」と思うからです。
人が怖いんじゃなくて落ち込むのがとても怖いし大嫌いだ。
なので、宇宙兄弟を観た次の日に「ray」を聞いたらどうしょもなかったです。
なんか、少し、前よりこの歌が解ったような気がした。すごい歌だ。
あと、宇宙兄弟のエンドロールで流れた曲がこれでした。
うわあああってまた泣きそうになった。
Coldplay - Every Teardrop Is a Waterfall - YouTube
Unbroken
今ようつべでColdplayのオフィシャルチャンネル観てたらこれが公開されてて。
Coldplay - Miracles (Official Lyric Video) - YouTube
「Unbroken」て映画の主題歌?なのかな、取り敢えず映画のタイトルがクレジットされてて、
気になって映画をググったら、「これ、アジカンのゴッチがツイートしてたやつじゃないかな、」
と思って遡ったらやっぱりそうで。
今ツイート貼っ付けようとしたんだけど、なんかできないんで、リンク。
読みました。 RT @soulflowerunion: 町山智浩、アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る(1/13)
http://t.co/YPI8CquFVP
これ、必読。
— Gotch (@gotch_akg) 2015, 1月 14
あ、これでいいのかな。で、文がこっちで。ちょっとざーっと読んでみたんだけども、非常に興味深いなあと思いました。
町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る
政治、特に日本の政治とかって本当に私は非常に勉強不足なんだけれど、、、
たまに「ゴッチは音楽活動だけしてればいいのに」て言う人いるけど、まず大前提として
「個人の自由なんじゃないの 笑」というのはあるし、良いとか悪いとかではなくて別に
当たり前の事なんじゃないかなって言うか、なんか、こういう問題って絶対違う意見の人からは
攻撃くらうんだけど…その、ミュージシャン自身が叩かれるじゃないですか。
だから一切そういうことについての私見を公にしない人もいるし。それぞれだと思うけど。
なにより、きっかけになって興味持って自分の意見持とうって言うのが自戒としてあります。
好きなアーティストの意見…(特に政治なんかに関してはね)丸のみ、鵜呑み、 みたいのとても怖いし、
それ、意味ないよね、って。
まあ例えば昔だったら自分も、先程のこの映画の記事ですけど、要約すると、映画を褒めてて。
で、多分、ゴッチのは悪い意味でのRTじゃなくて「読むべき」とか「割と記事に同意」的な感じで
RTしたんだと思うのね。
もうそうすると、映画を見る前から「良い映画なんだ」と決めちゃう、みたいのが一時期自分にも
あったから、取り敢えず観て、自分はどう思う?ってことなんだよねえ、って当たり前の事なんだけどね。。。苦笑
個人的にはなにかの活動とかに参加していることを見た目で表すって言うのが嫌いで。
そういう活動があるんだっていうことを色んな人に知ってもらうために身に付ける人もいるのかもしれないけれど。自分はしたくないなあって言うのはある。
それがあたかも自分のアイデンティティになっているかのような言動には抵抗がある。
「その活動に参加している自分」のアピール的なのはなんか嫌だ。
あと多分こういう日本とかで公開されてない映画でミュージシャンがラジオで話してた映画がこれ。
観ようとはずっと思ってる。けど観てない。苦笑 ようつべにある。
(Official Movie) THRIVE: What On Earth Will It Take ...
PCとかで映画観るの、目がちかちかするというか、気分悪くなるから、
テレビに繋げて観たいんだけどな…
ケーブルの工事とかしなきゃいけないみたいでね、、、よく分かんないんだけど、、、
あとColdplayの「Viva La Vida」と言う曲、歌詞を読むとすごく考えさせられる内容で、
こんなの日本のミュージシャンが歌ったらどうなっちゃうんだろう、みたいな。
考えさせられるというか、自分は完全には理解できていないから、、、
歌詞を読む限りフロントマンのクリス(バンドの歌詞はほぼ彼が書いている)はクリスチャンじゃないだろうな、と思ったりとかしたんだけど。。。(Wikipediaには特に書かれていない)
これだけ大きなバンドがこの「Unbroken」に楽曲を提供?(今映画についての記事読んだけど英語わからん。主題歌って言うより挿入歌なのかな、、でもこの映画のために書かれたらしい。)
そう、大きなバンドがこういう波紋を起こしそうな映画のために楽曲を書くとかって、面白いなあ、と。なんかそういうの含めてColdplayすき。
角砂糖
ハワイってたのしいのかなさゆ pic.twitter.com/SzqFkyw2Hh
— 大森靖子(おおもりせいこ) (@oomoriseiko) January 9, 2015
大森靖子 画像 で検索してくださった方ありがとうございます。
ちなみに私が一生懸命写真うつりをよくしたり加工するのは写真一枚とか顔がどうとかで音楽を聴いたり聴かなかったりするおまえらクソバカのためです。 pic.twitter.com/MuaodOj8qQ
— 大森靖子(おおもりせいこ) (@oomoriseiko) 2015, 1月 2
洋楽チェックしてるとかっこいい女性アーティストがメインでもインディーズでも盛り上がってて羨まし。日本の表に出てる女子ソロシンガーは裏でコントロールされてることが多いだろうし、女は歌が良くても不細工だと売れないだろ、っていう男尊女卑みたいな考えは音楽の世界ではかなり遅れてると思うし
— 片平里菜 (@katarina_81) 2014, 12月 30
久しぶり
有名なツイッターユーザーさんだと思うので、皆さんご存知だと思いますが、
あたそさんが今インドを旅行なさってる。
「インドへ行くと人生観が変わる」とかよく聞きますね。
これまで自分も何回も「インドへ行きたい」と言ってきた。
行きたいと思ったり、「行きたい」と言う人は多い国でしょうね、インドって。
「何事も口で言うだけなら簡単」とかって話を長々としたい訳じゃない。
でも、実際に行動に移した彼女が本当に凄いなと思う。
多分、そこに一番の差がある気がする。「1と0の間」と同じくらい大きな差。
やる、実際に行動に移す。
インドへ行こうなんて、なかなか実際に行動に移すのは難しいと思う。
少なくとも自分には簡単に出来ない。素直に心から凄いなあと思う。
そして人の旅行記を読むのは面白い。
細美氏のカンボジアやエジプトへ行った話とか非常に興味深い。
インドと言えば、高校のとき、英語の授業の担当のカナダ人(アメリカ人だったかも)の男の先生が、
夏休みにインドを旅行した話を、夏休み明け一番最初の授業でしてくれた。
「興味深い」というより「怖い」て感想を持ったような記憶がある。
所謂カルチャーショック。体験談を聞いただけだけど。
妹が国際政治(で合ってるかしら?)について勉強している。
これらについて彼女とよく話すのだけど(と言うか色々教えてもらってる)、
自分はそれ以前に日本の政治が全然分かってないってことに最近やっと危機感を覚え出した。
「民主党の岡田代表が網膜剥離で入院」て新聞に小さく書いてあったらしくて、
不謹慎にもそれに爆笑したのがこの前の選挙のちょっと後くらいかな。
ひどい話だ。
話は変わるけど、
ホーム・アローンて全部クリスマスの時期の話だから、すごい季節外れなんだけど、
最近またとても見たくなってきた。
元日
無題
ええっと。
近況。
「グレート・ギャツビー」を観ました。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2014/05/02
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (1件) を見る
少しネタバレになります。
あら、「華麗なるギャツビー」、か。
このグレイト…Great は、ギャツビーに対する賛辞の言葉である、とわたしは解釈しました。
勿論、ディカプリオ演じるギャツビーがメインキャラクターな訳ですが、
トビー・マグワイアだっけ、が演じた役がとてもよかった。トビー・マグワイアよかった。
ギャツビーは最後殺されちゃうんだけどね、ああよかった、と思いました。死ねてよかった。
本人自身には希死願望なんてないのですけど、あのまま生きていたら辛かったでしょう。ギャツビーはかわいそうな男だった。
また詳しく書きたいと思います。
でも恐らくこういう思考回路はあまり良くないですね。いま自分にそういった願望はなくなりましたが、
小さい頃から「死」ですとか「自死」に対して絶対的な否定、という考え方があまりありません。
まあ自死というのは非常に非常に嫌なものですが、、まず人間そんなに簡単に死ねませんしね。
まあ良くない、と書きつつも、これは頻繁に母と「だったら生むんじゃないわよ、責任取れねえ癖に!」という
喧嘩をするからではなくて、自分が生き続けるのか死ぬのか、の選択肢を他人がとやかくいえるものでしょうか。家族であってもこの場合は他人です。
生まれてきた、と言うのは完全に受動態で、生きるか死ぬかの選択くらい
自分で決めて良いのではないのでしょうか。
問題は残された人の気持ちですけどね。難しいですね。
消化するのに時間は掛かりますし、これはそもそも消化が可能なことではありませんね。
こんなことを考えずに、生き続けることは考えるまでもなく普通で当たり前で、、
こんなことをぐちゃぐちゃ考えないで生きられるのが一番良いですね。
なかなか生きづらい時代ですけれど。
Twitterですけども、また例の如く荒れに荒れました。
申し訳ないです。
情緒不安定とはまさにこういう奴で、人に迷惑をかけます。
だがしかしbut誰かが、誰がしかがこの吐き出した毒を見てるんじゃないか、てのが自分の願望なんですよね。
非常に醜い考え方ですけど、すぐにやめられそうもないので、吐き出す場所を別につくろうと思います。
これはフォロワーさんに見ていただきたい訳ではなくて、誰でもいいんです。
「誰か」の目に止まったらいいんです。なんて嫌な人間だろうか、
そういうことをしない人を本当に尊敬しますが、どうも当分はわたしはそうなれそうにありません。
フジファブリックの、「さーくらがなんとか・・・遠くの街に行くのかい」みたいな歌ありましたね。
新年度になっても私の生活には何の変化もなさそうです。
世界が、、、例えば争いや政治とか、もうこんがらがっていてひどい状態にあるのは、
来年すぐに変わるとは思いません。勿論少しずつでも良くなるようにするべきですが、
Aさんにとって「良いこと」はどうしてもBさんにとっては「悪いこと」になってしまうのです。
難しい。皆が幸せであるというのは有り得ないことに近い。折り合いのつく妥協点を探していかなくちゃいけないんですよね。
わたし自身は来年は、今年と比較したら、少しでも色々な意味で良い意味で成長できたら、と思います。
細美武士が、東北のことですとか、原発について、“妥協するラインみたいなものを見つけるのが大事だ”というようなことを話していた。Ustかな。
何の気なく彼のHPを一昨日辺り覗いたら、武道館公演に向けてブログが更新されていた。
相変わらず変わらないな、と思いました。
Cutの羽海野チカさんと藤原基央の対談、そしてバンプメンバーが好きな漫画について話す企画。
あんた達もほんとに変わらないわね!て胸がいっぱいになりました。
変わらない人間なんて居ないですけど、自分が誰かを好きで好きでやまない理由が変わらないのは嬉しい。
最近は狭く深く、というふうになってきました。
一人では生きられないけど、沢山の人となんとなーく合わせてくのが非常に苦手だから、いまなんとなくでも話すことのある人と、変わらずに好きでいられる音楽だけ好きでいればいいかな、と思っています。
そう言う点では(も)詰まらない人間に成ってきているかもしれません。
年齢なのか時期なのか、自分の中にあるものをもう1回考え直すときなのかもしれないです。
頭が働かなくなってきた。
また明日。
はしっこ
いつくらいからだろう、最近「美」とか「うつくしさ」とかそういうことについてばかり考えている。
そういうことばかり言っている。
THE NOVEMBERSをちゃんと聞くようになって、小林祐介という人の考え方などに影響を受けたり、
彼の考え方が好きだな、と思ったり。
あと、自分の心境が「はるかな国の花や小鳥」というお話に出てくる女性の気持ちに似ている、と
言うか分かる気がして。それがもう一年位前の話かな。すごくこの話を思い出してた。
この話は萩尾望都の「ポーの一族」に入っている短編。
それから萩尾望都がまた自分の中でぶわああっと再熱、、
と言うか、、、彼女のあの世界観は常に忘れずに心の中に持っておきたいのものなのだ。
読み返せば、読んでいた当時のことも思い出すし、今読んで、あの時ちっとも分らなかったことが
解った気がしたり。
でも、彼女の作品の中の世界は、「なつかしい」とか「ハマる」とかじゃなくて、
一つの考え方だったり概念として、いつも持ち歩いておきたいものなのだよね。
止まっていると、毎日毎日が外からの刺激で更新されていかないから、自分の中にあるものを
思い出したり考え直したり考え出したり、ひたすら「自分」についてばかり考えていた。
でも誰とも関わらずに生きて来た訳じゃないから、色々な人の事も考えた。
ほんとうに昔の事ばかり思い出した。恐ろしいくらい思い出した。
影響を受けても、強制されても、好きになったものは自分が選んで好きになったものだから。
どんなに自分が好いている人に「○○、良いよ」とすすめられても、自分が「良い」と思えなかったら、
良いと思えない。好きになれない。好き嫌いは結構本能的なものだと思う。
自分が何が好きなのか、よく分かった気が、する。ような、気がする。
お金、とか経済的なことを話し始めるとただの夢物語になってしまうのだけど、
色んな所に行きたい。いろんな国に、色んな場所に、行きたい。
アメリカだけだってあんなに広い。
カリフォルニアに一生滞在したところでアメリカのすべてを把握することは出来ないし、
それはこんな小さな島国日本でもそう。
規則正しくめぐるものは、太陽が昇り、沈み、朝が来て、夜が来る。
それだけでよい。
何かに縛られたりだとか、、、窮屈なのじゃない。つまらないのだ。
音楽だけ聞いているのも、映画だけ見ているのも、フィギュアスケートだけ見ているのも、
つまらないのだ。
この世にある音楽は全部聞いてみたいし、この世にある映画は全部見てみたいし、色んなスポーツを
知ってもいいと思うし、とにかく、世界が狭いのだ。わたしの世界は狭すぎるのだ。
貪欲になってる訳じゃない。
無理して長生きする気など毛頭ない。
やりたいことの多さに比して、残された年月が短すぎるとも思わない。
そもそも自分がいつ死ぬか私は知らない。
見てないものと、聞いてないものと、、あり過ぎる。
世界遺産を巡るだけじゃなくてね、とにかく、どこへでも行きたいのよ、色々知りたいのよ。
それで別に偉そうに経験談を語りたいのじゃない。
次はどこへ行こうか、とか考えているうちにぽっくり訳の分からない場所で死んでも別にいいのよ。
見たものや聞いたこと、別に誰にも話さなくていいのよ。
一人になりたいとか、誰も知らない場所へ行きたいとか、そういうんでもない。
政治についても考えなきゃいけないね、いろいろ考えなきゃいけないことはあるね、
選挙も今回こそ、生まれて初めて行かなきゃいけないね、
色んなことはいっつもカテゴライズされてるし、確かにフォルダに入って整理されてる方が
探しやすいよね。
でも、だから、どんどん考えることが停止していってるような、そんなような気がする。
幾つか趣味を持って、それらを追いかけてるだけなのはつまらない。
わたしはまだアビーロードも歩いてないぜ。
色々やんなきゃいけないよね、
人生の目標、とか、良い人生だった、悪い人生だった、とか
なんだろう、なんだろう
気付いたら生まれてたじゃない、好きなようにやっていきたいんだよね、なんだかさ。
だってさ、飛行機に12時間乗ってるあの12時間、、、確かに乗り物に12時間乗ってるって、
長いかもしれない。でもさ、何十年も生きる人生の中では、たったの12時間。
だけど、いま自分が雲より遥か上にいると、窓を眺めて思う時にさ、
そりゃあなんだか言葉にならない色々な思いや考えが込み上げてきたりするじゃない。
なんでこんなところに止まってる必要があるのかなっておもう。
あっち行ってこっち行って、もう帰らないかも、それこそすべてが一期一会で、
一回行った場所にまた行くことはないような感じかも、あんまり荷物は持たないで
あっちへ行ってこっちへ行って、気付いたら人生終わってた。
もうそんなんでいい。
色々好きなものを収集してきたけど、別に大事じゃないわけじゃないけど、なんだか、
一体これらをこれから先どうするつもりだったんだか
知ってることが少ない、知らないことが多すぎる、なんかつまらないんだよ、とても
だけど、ひたすら旅してると絶対すぐにさみしくなるだろうよね、それが面倒で厄介だ
一人で旅をしなきゃ意味ないからね。それ以外の方法なんて、そんなのやりたくないからね。
話は変わるけれどね、音楽のアルバムって、順番に意味の無いアルバムはないと思っていて、
バンプの(please)forgiveについて最近考えていて、この後はグッドラックしかあり得ないし、
椎名林檎さんの「日出処」だったら、もう、最後に「ありあまる富」が来て、結局、
彼女の言いたいことってこれに尽きるのじゃないのかな、とわたしは思う。
だから最後の曲はこれ以外有り得ないなって。
グッドラック。もっとこれを日常的に使いたい。もっと皆使ったらいい。
「あいつ英語なんか使っちゃってさー」じゃなくて、「SUSHI」と同じ感じでいい。
あとね、
いろんな事が絶妙なタイミングで起きて、それを話したら、「芸術ってそういうものでしょう」
と言われた。
全然違う分野の事で悩んでいて、テレビからこの「ありあまる富」が流れてきた、あら、
椎名さんアルバム出すんだ、「ありきたりな女」、なにこれ、すごくわかる、どうして、
今すごく本当にこう思うよ、とおもって、
「色々絶妙なタイミングでケミストリー起こしてるのよ」と言ったら
「芸術ってそういうものでしょう」って。
まさにそうだよね。あのRomancé パラレルバージョンみたいに、皆が同時にある一つのものをみて、
皆の目に同じ色がうつるわけがないし、それは自分の目にだって一秒一秒違った色が
飛び込んでくる。
確かにやりなおせるはずもない、やりなおす必要もない、誰かが勝手に決めたわけじゃない、
色んな意味で「掛け替えがない」。だから大事にしましょう、とかね、そういうのじゃないのよ。
もう、そういうものなのよ。
気付いたら生まれてたんだから、適当にやってけばいいと思う。
色々考えたってよく分かんないし。
この前父が宇宙の端っこの話をしてた。なんかよくわかんないけど、
「宇宙の中にある物質が飛んでってる先があるから、宇宙の端っこがあるのか、ないのか、
どの辺にあるのか、それらは分からないことではないかも、多分宇宙の端っこはある」って言ってた。
全然分かんないけど面白い。
宇宙の端っこの話してたら、もうなんか適当に好きなように生きて行けばいい気がする。
考えるのに疲れたわけじゃないし、だけどもなんだかこんなちっぽけなことばっかに
囚われている意味や必要性があんまりよく分からない。
そもそも意味のある人生とか意味の無い人生とかも、よく分からない。
なんでそんなに色んなことを決めなくちゃいけないんだろう。