イキル

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元日

あけましておめでとうございます。

思えば「生きる」ことに非常に消極的だった時期に開設したブログのタイトルが何故「イキル」なんでしょう。

そう言えば友達がLINEで「イキル!」と言う言葉を連呼していた。脈略なく連呼していた。
それでなんとなく付けたのでした。
彼女も色々ありそうで、わたしも色々あって、
それを言い訳にしたらいけないけど、彼女にも酷いことをしてしまいました。

罪悪感というのは最低なものだ。
された側が傷付くのは当たり前なのに、傷付けたわたしが落ち込むとはなんなんだ。
きのこ帝国の「夜が明けたら」を思い出す。
「償いきれない過去だって決して君を許さないよ」
でもこの歌には最終的に救われます。
「救われる」と言う感情は自己愛と自己肯定の塊で、人間とはそういうものだと割り切ることにしました。

物心ついた頃からどうも平気で人に優劣をつける癖がついてる。
頭の片隅で馬鹿にしてる人がいる。
だからと言って私にとって「馬鹿にしない」というのは良い意味ではなくて、
畏怖の念に近い。馬鹿にしていない人は自分にとって怖い存在。
恐らく、純粋な尊敬の感情より恐怖感のが割合を占めているかもしれない。

親というのは尊敬するべき存在です、少なくとも、わたしは有難いことに恵まれているので、
尊敬に値する親の元に生まれたと思う。

母に対して、「馬鹿と鋏は使い用」じゃないけど、どのタイミングで自分がどう動けば自分に有利になるか、大体分かったつもりでいるので馬鹿にしてるのかも知れないです。
あと、いつからか私は「誰かに相談する」という思考回路が消えました。
親に限らず医者だろうとカウンセラーだろうと、です。
カウンセラーの前でも構えるのでわたしにはカウセリングは向きませんでした。
考えていることを全部話しても解決するわけがないし、
だったらグダグダ話が続くのは面倒なので、大体話すことは事前にまとめる癖がつき、
気にそまない返答でも適当に頷いて帰ってきてしまうので、無意味です。
今思いましたが医者はこれでは困る。
状態に合わせて薬を処方されている訳だから都合良いことだけ話してたらダメ。
いや、実は大分前から何回か指摘されている。わたしはめんどくさがりなのだ。
頑張って、出来るだけ自分の気持ちに一番近い言葉だけを選んで、胸のうちを全部伝えても「ああそんな風な答えが返ってきてしまうのか」と言う経験を何回かしてから、そういうことが面倒くさくなりました。
だから、文を書くことがわたしにはカウセリングに近いのかも知れませんが迷惑な話ですよね。
でもTwitterにしろblogにしろ、不愉快になるならリムーブなりミュートなりブロックなりすればいい、blogもそういうもんだろう、と実は思っているような人間です、私って奴は。

もう「今日できたことを明日も絶対にしよう」とするのはやめました。
出来ないからです。負担がかかってストレスになって、良いことない。
つくづく、ただ「普通になる」ことに時間が掛かっていますが、仕方ないね。

近所のばばあが「ああ雪だ、おいで!」と騒いでいる。ああ、子供が実家に帰ってきたのか、孫か。
あんたんとこの工事すげえうるさかった、終わってよかった。

同い年のいとこ(男)が去年結婚した。
顔も名前も知らない。
ごめんねお父さん、親不孝だなあと思ってはいます、ごめんね。

これを読んだらお前はまた病んでるのか、と言われそうですが、病んではいない。
健やかではないが格別調子が悪いわけでもない。
死にたい死にたいと思ってるとほんとに停止しかしないので、それはなくなって本当によかったです。
理由は複合的なものだと思われます。

ではまた。
ああそうだ、People In The Boxの「Rabbit Hole」と「Frog Queen」を借りた。
このバンドを聴くようになったのは去年で一番大きな収穫かも知れない。
でも、「去年」とか区切ってるけど別に何ら変わりはない、昨日が今日になったと言う点では9月16日が9月17日になったのと何も変わらない。
すべてに数字をふって規則正しくしたり、区切りを付けたり、
あとは、誰にも願えない祈れない気持ちをぶつける対象として神をつくったご先祖様の気持ちがわかるような気が最近はします。

毎年毎年、年末年始の雰囲気が大嫌いでしたが、今、あまり嫌だなと思いません。 
秋と冬もなかなか悪くなかった。
ただ夏への憧れと言うのはいつ何時もやはりあります。
一週間に一回くらいは夏が恋しくなります。

では。